敬意は、何を根拠に成立していたのか
年長者が知識の宝庫だった時代は終わりました。これは道徳の話ではなく、価値証明の失敗という経営課題です。
前回、内部の判断履歴を数字と並べる話を書きました。ただし並べても、同じ意味で読めなければ比較になりません。
いま多くの組織で、同じ言葉が別のものを指しています。
「最近の若手は」で始まる話を、別の角度から
40代以上の中間管理職が、過去の成功体験に固執して新しい技術を拒む。若手からは「価値を生まないコスト」に見える。この構図はよく語られます。
たいてい、道徳の話になります。敬意が足りない、教える側の努力が足りない。
別の見方をします。これは価値証明の失敗という、経営上の問題です。
権威の根拠は、情報の非対称でした
かつて、年長者は知識の宝庫でした。取引先の癖、過去の失敗、業界の慣行、機械のくせ。それらは書かれておらず、経験した人の中にしかありませんでした。
若手が仕事を進めるには、聞くしかない。聞く必要があるという状態が、敬意の実務的な根拠でした。
いま、その一部が外に出ました。手順、規格、一般的な進め方、業界の基礎知識。検索と生成AIが、数秒で返します。
かつては、年長者に聞く以外に知る方法がありませんでした。いまは、聞かなくても相当の部分が手に入ります。

問題は、手に入らない部分のほうです。そこには、判断の順序、例外の見極め、この取引先に限って通用しない話が入っています。言語化されていないので、検索では出てきません。
しかも若手からは、その部分が存在するかどうかも見えません。必要な情報が揃ったように見える時点で、聞く理由が消えます。
「価値証明の失敗」とはどういうことか
年長者が持っている3割は、実在します。ただし、それを示す手段がありません。
言語化されていないものは、言語化されるまで存在しないものとして扱われます。その結果、年長者は「操作の分からない人」としてしか観測されなくなります。
若手の合理主義は、この観測に基づいて敬意を省略します。これは無礼ではなく、情報に基づく判断です。間違っているのは判断ではなく、判断の材料のほうです。
組織として失っているのは、敬意ではなく、言語化されていない部分のほうです。
ALTEVOはこう考えています
世代論として扱うと、解決しないと考えています。どちらかに態度を改めさせる話にしかならないからです。
私たちは、これを定義の問題として扱います。
同じ数字を、同じ定義で見ている状態 ★ 共通言語がある
同じ数字を、別の定義で見ている状態 ★ 会話が成立しない
暗黙知を全部言語化するのは無理です。ただし、判断の前提だけなら1行で残せます。「この取引先は締め日が違うので、月末の数字はずれる」。これだけで、若手が同じ数字を同じ意味で読めるようになります。
私たちが設計対象にしているのは、経験を移すことではなく、経験が使われた痕跡を残すことです。全部は移せません。使われた場所さえ分かれば、若手のほうから聞きに行きます。
聞く理由が復活すれば、経路は再び開きます。
ただし、これは仮説です。
反証:言語化すべきでないものがあります
明確な弱点があります。すべてを言語化すると、判断が遅くなります。
暗黙知の価値は、圧縮されていることにあります。ベテランが3秒で下す判断を、10項目のチェックリストに展開すると、実行に5分かかります。速さは、それ自体が価値です。
もう1つ。若手の側にも欠落があります。検索で得た知識には文脈がありません。「一般にはこうする」は知っていても、「うちでは通用しない理由」を知りません。どちらか一方が正しいという構図ではありません。
そして、この記事が扱っていない領域があります。技術の変化が速すぎて、年長者の3割そのものが陳腐化している場合。このとき残すべきものは、もうありません。残すべきかどうかの判断が、先に必要です。
次回
言語化されないものは、評価もされません。評価されないものは、測れるもので代用されます。
そして日本の組織で最も長く代用され続けてきたのが、投入時間です。
次回は、そこを扱います。投入時間は、何の代理指標だったのか。
この課題に、ALTEVO は2つの形で向き合っています。