投入時間は、何の代理指標だったのか
長時間労働が評価されるのは、文化が遅れているからではありません。他に測れるものがないからです。
目次
前回、言語化されないものは評価されないという話を書きました。評価されないものは、測れるもので代用されます。
日本の組織で最も長く代用され続けてきたのが、投入時間です。
制度は入りました。文化は残りました
働き方改革は、制度としては導入されました。上限規制があり、勤怠は記録され、数字としては減っています。
それでも、「遅くまで残っている人が頑張っている」という感覚は残っています。
これを文化の遅れとして説明すると、対策は「意識改革」になります。前回と同じ構造です。意識で変わるなら、制度が入った時点で変わっています。
代理指標としての時間
管理する側の立場で考えます。部下の仕事の質を、何で測るか。
測りたいもの 判断の質、設計の筋の良さ、対応の適切さ
測れるもの ★ 出社時間、退社時間、稼働時間、対応件数
測りたいものは、成果が出るまで分かりません。設計判断が正しかったかどうかは、半年後や数年後にしか判明しません。しかし評価は毎月あります。
そこで代理指標(proxy)が使われます。測れないものの代わりに、相関がありそうで、その場で測れるもの。投入時間は、その条件を満たします。
これは怠慢ではありません。測れないものを評価しなければならない立場で、最も安価に手に入る手がかりです。
代理指標は、置き換えられるはずでした
本来、代理指標は暫定です。本来測りたいものが測れるようになれば、置き換わります。
置き換わっていません。理由は2つあります。
1つ目。判断の質は、いまも測れていません。成果と判断の距離が遠く、間に運が挟まります。良い判断が悪い結果を生むことも、その逆もあります。
2つ目。判断の履歴が残っていません。そもそも「いつ、どの前提で、何を決めたか」が記録されていなければ、後から質を評価することは原理的に不可能です。測る技術の問題ではなく、測る対象が存在しない状態です。
そして、代理指標は自分の前提を壊します
投入時間を増やす方向に組織が最適化されると、睡眠時間が削られます。
睡眠不足が判断の質を下げることは、広く知られています。つまり、判断の質が測れないから時間で代用し、その時間を増やした結果、判断の質が下がる。

代理指標が、代理しているはずの対象を壊しています。これは人道の問題であると同時に、経営指標として明確に不合理です。
ALTEVOはこう考えています
投入時間による評価を、いきなりやめるべきだとは考えていません。
代用をやめるには、代わりが要ります。何も用意せずに時間の評価だけ外すと、評価の根拠が消えて、印象で決まるようになります。それは代理指標より悪い。
先に用意すべきものは、判断の履歴だと考えています。いつ、どの前提で、何を決め、何を見送ったか。これが残っていれば、成果が出た時点で遡って評価できます。判断が正しかったのか、前提が変わったのか、運だったのかを切り分けられます。
私たちが企業搭載型BIで扱おうとしているのは、この履歴です。時間ではなく判断を、経営の対象にする。そのための前提を整えることが、設計の目的です。
ただし、これは仮説です。
反証:総投入時間が成果に直結する局面はあります
例外を明示しておきます。立ち上げ期には、投入時間が成果とほぼ比例します。
顧客がゼロの段階では、接触した数が結果を決めます。試行の回数が学習量になります。この局面で効率を優先すると、単に何も起きません。
問題は、この状態が恒常化することです。立ち上げ期の働き方を、10年続けている組織があります。局面が変わったのに、評価の仕方だけが残っている。
もう1つ。判断の履歴を評価に使うと、記録が歪みます。前回も書きましたが、評価される可能性がある記録は、評価を意識して書かれます。「見送った」と書かず「保留した」と書くようになる。記録を評価に使わない線引きは、仕組みの外側で守るしかありません。
次回
測れないものは、切り捨てられます。
判断の質、現場の機微、人への配慮、長期の信用。数値化できないものは評価指標に乗らず、乗らないものは「非効率」として扱われます。
効率は手段だったはずですが、いつからか目的になりました。
次回は、そこを扱います。この連載の最後の1本で、この構造に対して私たちに解決できないことを書きます。
この課題に、ALTEVO は2つの形で向き合っています。